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黄昏の岸 暁の天 4章6~

2010-08-08 22:15


  6

「諸国が一致して泰麒の捜索をする、これは天の条理に反しない」
 玉葉はそういった。一夜明けて、通告通り|午《ひる》のことだった。
「大丈夫なんだな?」
「ただし、神籍あるいは、仙籍に入り、伯以上の位を持つものでなくては、虚海を渡ることはできぬ。これは動かすことができぬ」
「先刻承知だ。だが、それでは人員が足りない。天綱には、置くべき官の決まりがあるが、新たに官位を設けてはならない、という記述はない。このために新たに伯位の官を設けることはできるか」
「ならぬ。伯位を超える位は天にとっても数々の特権を付与した特免の位、これを授けることができるのは、定められた通り、王の近親者、そして|冢宰《ちょうさい》、三公諸侯に限る。それ以外の者に特免の位を与えることは|適《かな》わぬものと考えられたほうが良かろう」
 六太は軽く舌打ちをする。
「では、女仙を借りることは」
「それも今回はならぬ、と心得られよ。蓬山の女仙は|妾《わらわ》の免許なくば、蓬山を離れて動くことが適わぬ。妾は今回、女仙にその免許を与えない。なぜなら、|崑侖《こんろん》、|蓬莱《ほうらい》へ泰麒を探しに行くためには、頻繁に|呉剛《ごごう》の門を開き、蝕を起こす必要があるからじゃ。現在、蓬山には|塙果《こうか》がある。蝕が蓬山に波及して塙果を異界に流すことだけはあってはならぬ。女仙には何を措いても、塙果を守ってもらわねば」
「ああ……そっか、蝕か」
「これは条理ではなく、玉葉からの頼みじゃが、蝕を起こすことは最低限に願いたい。たとえ虚海の彼方で呉剛門を開いても、それがどう波及するか予断を許さぬ──それが蝕というもの。心掛けてもらえれば恩義に思う」
 心得た、と六太は言い、陽子は頷く。玉葉は微笑み、
「ただし、九候と王の双方が国から欠けてはならぬ。天綱には、王がなければ九候の|全《すべ》て、王があっても九候のうち余州八候の半数以上が|在《あ》らねばならぬとあるが、これは天の条理であると心得てもらいたい。ここでの『在る』は、国にいる、という意味だと解釈さなれよ。[#原文ママ「解釈さなれよ」は「解釈なされよ」の誤植?]余州八候の半数──四候以上が一時に国を空けてはならぬ」
 六太は玉葉を|睨《にら》んだ。
「国にいる、という意味だというのは初耳だ。だったらそう書いておけよ」
 玉葉は軽く笑う。
「その苦情は天帝に申し上げるのじゃな」
「これだから、天の条理は油断がならない。──まあ、いい。他には」
「諸国合意の上でも、兵をもって他国を侵してはならぬ。これは断じて動かない。泰王がおられぬ以上、戴へ派兵することはまかりならぬ」
「了解済みだ。──泰の様子を見るために、兵を入れるのはどうだ」
「条理には、侵してはならぬ、とあるが、兵が他国に立ち入ることを禁じているわけではない。たとえば王が他国を訪問する際には、必ず身辺警護のために兵卒を同行するであろう。これを禁じる文言はない。また、使節として兵士のみが他国に向かうことを禁じる文言もないし、ゆえにこれまでも頻繁に行われてきた。問題は、兵士が他国に入ることではなく、入った兵士の行動が『侵す』という文言に当たるかどうかにかかっている」
「……微妙だな」
「戴の場合は、より微妙じゃ。どういう場合が『侵す』に当たるか、これはたとえば、その国の王の国策に|背《そむ》く行為である場合が挙げられる。遵帝がこれじゃな。|氾王《はんおう》が民を|虐《しいた》げた。それは非道とはいえ、正当な氾王が採った国策であることは確実じゃ。遵帝はこれを妨げた。ゆえにこれは『侵す』に当たる。空位の場合は、時の朝廷が決した方針が、すなわち国策であると見なされる。──ただし」
「泰王は死んでいない。戴は空位になったわけじゃない」
「その通りじゃ。たとえ偽王による偽朝といえど、それが朝廷の決であるならば、これに干渉し妨げることは侵入に相当する。じゃが、戴にはまだ正当な王がおられる。偽王は普通、空位になった王朝に偽って王が立つことを言う。戴の場合は、正しくは偽王とは言えぬ。前例がないので、何と呼べばいいのか定かではない」
「阿選の朝廷が、天の言う朝廷に相当するのかが問題か……」
「そういうことじゃな。こればかりは前例がなく、はっきりと定めた条理もない。どの目が出るかは|妾《わらわ》にも判じかねる。ただ、国策とは王の方針ではなく、得てして朝廷の方針を言うことはお心に留め置かれたほうが宜しかろう」
「難儀だな……」
「布陣はならぬ。他国の国土を、天によって認められた広さから|一夫《いっぷ》たりとも削ることは許されませぬ。戴国の王、戴国の民が、立ち入ることのできぬ土地を、他国の兵士が確保することは国土の占拠にあたる。たとえどう理屈をつけようと、陣営を設けた時点で|覿面《てきめん》の罪に当たると心得ておかれよ」
「了解した」
 延麒は他にも二、三の問いを発したが、それはいずれも曖昧な条理に明確な線引きをしようという、そういう行為に陽子には見えた。居心地の悪い違和感があった。玉葉は明らかに天綱に対する解釈を述べ、前例を加味して答えを与えようとしている。まるで全てに条理が先んじる──それも成文化された条理が先んずる印象を受けた。
 何となく、玉葉は昨晩一晩で、その条理に対する解釈と前例を調べ上げてきたのだ、と言う感じがしてならなかった。では、その条理とはいったい、何なのだろう?
 陽子はこの世界に連れてこられて以来、世界を見えるままに受けとめてきた。妖魔という魔物の|跋扈《ばっこ》する世界、新鮮が奇蹟を行い、数々の不思議が満ちる。それは|御伽噺《おとぎばなし》にそうだと定められているように、ここにおいては当然のことだと丸飲みにしてきたのだが、ここはそういう牧歌的な空想世界とは別物なのではないかという印象を受けた。
 なぜ妖魔がいるのか、なぜ王には寿命がないのか、なぜ生命は樹木から誕生し、何をもって麒麟は王を選ぶのか。それら、当然としてきたことの全てを、不可解に思うべきだったのかもしれない。そういう種類の──あえて言うならば──薄気味の悪い違和感。
 その違和感は、言葉にできないまま、蓬廬宮を退出するときまで続いた。
 再び白い階段を抜け、山頂に出る間に、陽子は何とか言葉にしてみようと|足掻《あが》いたが、やはりそれは巧く言葉にならなかった。
「玄君の言っていることは分かったな?」
 六太に問われ、陽子は頷く。
「俺はこのまま奏へこれを伝えに行く。挨拶もしなければならないし。陽子は戻って尚隆からの指示を待て」
「……分かった」
 じゃあな、と軽々とした声を残し、六太を乗せた|すう虞《すうぐ》[#「すう虞」の「すう」は「馬」偏に「芻」の字。Unicode:U+9A36]は南へ向かって消えていった。

   ※

 |穢濁《あいだく》は降り積む。二年、三年と過ぎるうちに、それは着実に彼を|蝕《むしば》んでいた。|鬱金《うこん》色をしたはずの彼の影は、その|翳《かげ》りを深くしていった。そして──と|汕子《さんし》は思う。
 皮肉なことに、彼の影が|穢《けが》れていけばいくほど、汕子たちは呼吸が楽になっていくのだった。あれほど困難に思われた、泰麒の影から抜け出ることも、意外に|容易《たやす》く可能になった。あるいはそれは、汕子たちが汚れから力を吸い上げているせいなのかもしれず、さもなければ、汕子らを|覆《おお》った殻が次第に薄く|脆《もろ》くなってきていることの|証《あかし》なのかもしれなかった。
 ひょっとしたら、と汕子は|悪寒《おかん》のする思いで自己を省みることがあった。泰麒の影が汚れていくのは、穢濁のせいばかりではなく、汕子たちのせいなのかもしれない。
 泰麒に危害を加えようとする者を、汕子は排除した。そのたびに鬱金の色が濁り|錆《さ》びてくるような気がする。
 だが、汕子にすれば、排除は選択の余地のない当然のことだった。汕子は泰麒の|傅母《うば》だ。泰麒が金色の果実として生を受けるのと同時に生まれ、生涯を泰麒と共に過ごすべく定められている。泰麒の生命が尽きれば、同時に汕子の生も終わる。そんなにも、汕子はただ泰麒のためにだけ存在しているのだ。王を選び、生国に下り、宰輔の地位に就いた麒麟は、もう汕子に養い育てられる子供ではなかったけれども、それでも汕子は依然として泰麒の僕だったし、泰麒のために存在していた。|傲濫《ごうらん》もまた、そうだ。傲濫は決して泰麒のために生を受けたわけではなかったが、契約によって結ばれた縁は汕子のそれに劣るものではない。麒麟と使令が結ぶ契約は、麒麟が王に対して結ぶ契約に匹敵する。汕子だけではなく、傲濫もまた、今や泰麒を守るためだけに存在しているのだ。
 その汕子らの目の前で泰麒に危害が加えられるのを、どうして黙って見過ごせるだろう? 泰麒の命令があればともかく、あるいは、泰麒が全身全霊を捧げる王のためならばともかく、汕子にとっても傲濫にとっても、泰麒に加えられる暴力を耐えて容認する理由は、どこにもなかった。
 最初は警告だった。泰麒に不遜の手を出せば、必ず報いがあるのだと汕子は証明して見せなければならなかった。それでも|不埒《ふらち》な行為はやまなかった。相手が泰麒を軽んじるなら、それは過ちだと汕子は思い知らせてやらなければならない。牢獄に囚われ、看守の専横を許しているのは、ゆえあっての選択であって、決して泰麒の神性が失われ、身分を失ったからではない。特に相手が害意をもって泰麒に危害を加えようとするなら、これは万死に値する。法をもってしても宰輔を害するは死罪、罪を減じられることはあり得ない。
 そうやって排除してもなお、次々に逆賊は現れた。払い除けても払い除けても湧いて出るそれを排除するたび、汕子の──傲濫の制裁からは余裕も|容赦《ようしゃ》も失われていった。そしてそのたびに逆賊の害意は増し、泰麒の影の|鬱金《うこん》の色が|濁《にご》ってくるような気がする。濁れば濁るほど、注ぎ込んでくる気脈が|痩《や》せる。
 この汚濁が|汕子《さんし》らのせいだったとしても、汕子は他にどうすればよかったのだろう?
 ……こんなことがいつまで続く。
 絶望的な気分を僅かに救ってくれるものがあるとすれば、何かの弾みに汕子が触れ、|慰《なぐさ》めを与えると、泰麒が喜んでくれることだった。悲しいことに、泰麒は汕子のことも、蓬山のことも戴のことも覚えていないようだった。だが、それでも汕子の指の感触だけは忘れずにいてくれるのだ。
 ……お側にいます。ついています。
 慰める度、ほんの少し闇の中に明るい金が|射《さ》して、汕子はそれで僅かなら|報《むく》われる気がする。
「必ずお守りしますから……」
 呟いた汕子の姿はしかし、|翳《かげ》った闇の中で徐々に輪郭を失いつつあった。
 汕子は自身で気づいていない。自分が自己を律することができなくなりつつあることに。思考は狭まり、|頑《かたく》なになった。そういう形で、自らにも|穢《けが》れが付着しつつあることを、汕子は|微塵《みじん》も理解していなかった。
 そして同時に、泰麒自身もまた、自己にそういう変化が起こりつつあることを、露ほども認識していなかったのだった。
 ──いや。彼は勿論、自己の周囲に事故の多いことを認識していた。しかしながら、彼はそれを「亀裂」の一環だと理解していた。
 彼は物心ついてからずっと、自分は異分子なのではないかという疑いを抱いてきた。自分という異物が存在するために、周囲の何かが巧くいかないのだという罪悪感にも似た意識を抱いていた。彼の存在は常に周囲にとって落胆の種であり、困惑と困苦の種なのだと感じてきた。そしてそれは、年ごとに拡大し、確信へと変わっていった。
 彼は今や、確実に異分子だった。周囲にとって不快の元凶であり、災厄の種子だった。いつの間にか彼と世界の間に刻まれてしまった亀裂は、時と共に目を逸らしようもなく深まっていった。亀裂に橋を渡そうとする母親の狂おしい努力は、どこかの時点で放棄されてしまった。
 彼は孤立し、そして孤立せざるを得ない自分を理解していた。自分に係わるものには災厄が降りかかる。「|祟《たた》る」という噂が流れた。そしてそれは、彼の属性のひとつになった。彼は自分が、周囲にとって不快で危険な生き物なのだと了解した──せざるを得なかった。
 彼はそれを、自分でも不思議なほど淡々と受け入れた。
 なぜなのだろう、と彼自身思うことがある。小さい頃には、自分が異分子のように思えることが、ひどく辛く、悲しかった。だけれども今は、それほど辛いとも悲しいとも思えなかった。
 慰めてくれる何かがいるせいなのかもしれない。精霊のような何かが自分の周囲にいて、温かな|慰撫《いぶ》を与えてくれていることに、彼はいつからか気づいていた。だからこの孤立を、真の意味での孤立だとは捉えていないのかもしれない。あるいは、他人に係わることは即ち、その人物を危険に|曝《さら》すことで、それが実際に起こったときの苦しみを考えれば、どんな関係も持たないほうが数倍ましだと感じていたのかもしれない。だが──それよりなお、数段奥深いところで、彼の何かが変質していた。
 ……僕は、ここにいてはいけない。
 彼はそう感じていたが、それにはさほどの苦しみを伴わなかった。それはかつてどこかでとっくに覚悟し、受け入れたことなのだという気がしていた。幼い頃、母親が彼のせいで泣くことは、彼にとって何にも勝る重大事だった。彼は今もそれを辛く感じはするのだが、母親を|哀《あわ》れに思うたび、もっと先に|憐《あわ》れまねばならない誰かがいるような気がしてならなかった。母親より、家族よりももっと先に、案じてやらねばならない誰か。
 歳と共に|膨《ふく》らんでいったのは、悲嘆や|孤愁《こしゅう》よりも焦りだった。何か大切なことを忘れている。絶対に忘れてはならない、あまりに重大な何か。こうして彼が無為に存在している間に、取り返しがつかないほど|損《そこ》なわれ、失われていく何かがあるような気がする。
 なぜ思い出すことができないのだろう。
 どこかで喪失した一年。思い出そうとする度、懐かしく、|愛《いと》しく感じる何か。思い出すことができないまま、日一日と彼はそこから離れていく。大切なそれとの距離が絶望的なまでに開いていく。
 ……帰らなければ。
 でも──。
 どこへ?

 

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